山彦の由来 土田耕平
むかしむかし大むかし、天の神様達が皆おそろいで、この地上へお下りになったことがありました。
雲や星や月ばかりをながめて暮らして居た神様達には、花が咲き鳥が歌い魚がおどりして居る下界の有様が大へん珍らしく思われました。すぐ天へお帰りになる筈であったのを、神様達は相談なされて、暫く下界に御逗留ということになりました。
けれども神様達のことでありますから、人間のようにお酒を飲んで、大騒ぎするようなことはありません。静かに沼のほとりに腰をおろして自分の姿を水鏡にうつしてごらんになったり、草原の中に身を伏せて、菫のささやきに耳をお傾けになったり、又は森深く分け入って、樹の精の物語をお聞きになったりして、日をお暮らしになりました。
ところがこの神様達の中に、山彦と名のつく方がありました。この神様はいつも駈けまわったり、大きな声で叫んだりして居なければ承知できないという一風変わった方でありました。
広い天ではいくら叫ぼうと、駈けまわろうと、他の神様達のめいわくになるようなことはありませんが、何分にもせまい地上のことですからたまりません。沼のほとりで水鏡して居られた神様は、山彦の走る地ひびきのために、自分の影を見失ってしまい、菫や樹の精と語って居られた神様は、山彦の叫び声にさえぎられて、相手の話を聞きとることも出来なくなりました。
静かなことの好きな神様達は、山彦の元気よいのに、ほとほと困り果ててしまいした。
「あの荒れものが居てはうるさくて仕方ない。何とか方法はあるまいか。」と神様達は一所へ集まって、相談をお始めになりました。その時力を司る神様が申されました。
「その事なら私が引き受けましょう。山彦のからだからすっかり力を抜いてしまって、そこらを駈け歩けないようにしましょう。」
そばから口を添えて音声を司る神様も
「私はあれのからだから声を抜き取って、しゃべれないようにしてしまいましょう。」
と申されました。
神様一同これを聞かれて、
「それがよい、それがよい。」と云ってお喜びになりましたが、只一人慈悲を司る神様が首を振って、
「イヤそれはあまり可哀そうだから私達が呼んだ時、返事の出来るだけの声を残してやりましょう。」とお云いになりました。他の神様達もこれには誰一人異存なく、相談がきまりました。
そこへ山彦は、野原を一まわり駈け歩いて帰って来ました。たちまち力を司る神様が後から押へ付けて、すっかり体の力を抜き取ってしまいました。つづいて音声を司る神様が、山彦の口から「オーイ」と返事するより外、何も云えぬように声を取り去ってしまいました。
若い元気な山彦は、急に唖と躄とを兼ねたような、みにくい形になりました。山彦は皆の神様の手前はずかしくなって、コソコソと山の谷あいへ這い込んで行きました。そして落葉の上へ身を伏せて、
「ああ情ないことになった。こんなことになるなら、もう少し静かにするのだったに。」と後悔しました。
他の神様たちは山彦が荒れなくなったので、やっと安心なされて、思い思いに地上の楽みを尽すことが出来ました。やがて天へお帰りになる時が来て、神様一同勢揃いをしてごらんになると、山彦一人どこへ行ったのか見えません。
「山彦! 山彦!」と皆でお呼びになったが、返事もありません。
「はて、返事だけは出来るようにして置いた筈だが?」と音声を司る神様は、首をお傾けになりました。
しばらく待って見ましたが、山彦の姿が見付からぬので、神様達はみんな天へお帰りになってしまいました。その時山彦は昼寝をして居たのです。だから神様達が自分の名をお呼びになったのも、又天へお帰りになったのも知りません。山彦は今に神様達が自分をお呼びになるだろうと、そればかりを頼みにさびしい谷あいで、長い年月を送りました。
そしてとうとう谷の落葉に埋もれて、朽果ててしまいました。只その声ばかりは今なお生き残って居ます。その証拠には皆さんが山の谷間へ行って大きな声で 「オーイ」と呼べばきっと向こうからも「オーイ」と答えましょう。その声を私共は未だに山彦と呼びます。
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