幼子(おさなご)言葉(ことば)            土田耕平


 あるところに、夫婦のものが、住んでいました。二人のあいだには、四つになる男の子がありました。それから、七十あまりのおじいさんが、一しょに住んでいました。
 男の子は、(まり)のようにはずんで元気よく、可愛(かわい)らしくなりました。おじいさんは、耳は遠いし、目は見えないし、手足は始終(しじゅう)ぶるぶるふるえていました。そして、うちひしがれた(かに)のやうに口から(あわ)をふいていました。
 夫婦のものは、男の子を、それはそれは、大事にしました。けれど、おじいさんを(きたな)がり、そまつに(あつか)うようになりました。
 食事の時には、おじいさんは()えず、口から御飯つぶを、とりこぼしました。それを夫婦のものは、いちいち拾って、おじいさんの口へ入れてやったりしているうちに、あたたかいお汁は、水のように冷えてしまいました。
「ああ、これでは、たまらないな。」
「じぶんが食べているのだか、人が食べているのだか、わからなくなってしまう。」
 夫婦のものは、うんざりして、こんなことをいうようになりました。けれど、おじいさんは、ぶつぶついいながら、いつまでも、一碗(ひとわん)の御飯をつついていました。
 おじいさんの手は、始終ぶるぶるしていましたので、あるときのこと、御飯のお茶碗(ちゃわん)を、チャブ台の上に、とりおとして、()ってしまいました。
 もうおじいさんに、すっかり愛想(あいそ)をつかしていた夫婦のものは、これを見ると、たまらなくなって、勝手(かって)のすみの板敷(いたじき)のところへ、おじいさんを連れて行ってすわらせました。そして、(ねずみ)のかじったような古ぼけた木のお(わん)を、どこからか出してきて、おじいさんにあてがいました。
「これなら、いくら落しても割れっこない。」
「ここなら、御飯をこぼしても、拾う世話が焼けないよ。」
 夫婦のものは、こういって、食べさしのチャブ台のところへ、もどりますと、男の子は、チャブ台の上へ、ちょこんとすわりこんでいました。いつのまに、どこから拾ってきたのか、木片(ききれ)を四五枚組合せようとして、口をとがらせて、むずかしい顔つきをしていました。
「坊は、何をしているの。木片なんぞ集めてさ。」
 と夫婦のものが、たずねました。
「坊は、木のお椀をこしらえるの。」
「木のお椀なんぞこしらえて、どうするの。」
「お父ちゃんやお母ちゃんが、お年よりになったら、木のお椀で御飯を食べさせてやるの。」
 夫婦のものは、男の子のことばをきくと、二人とも、顔を見あわせて、泣き出しました。
 それからというもの、この夫婦は、おじいさんを大切にしてあげるようになりました。

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