ふさ子さん            土田耕平


 ふさ子さんは、ふと夜なかに目をさました。雪洞(ぼんぼり)の明かりが、夢のように、(へや)の中を照らしています。
「お母さん。」
 ふさ子さんは、そばに寝ておられる、お母さんを呼んでみました。けれど、お母さんは、すやすやと眠っておられて、お返事がありませんでした。
 ふさ子さんは、反対の(かべ)の方に向きなおりました。そこには、お大師(たいし)さんのお姿(すがた)掛図(かけず)になっています。
 ふさ子さんのお母さんは、お大師さんを信心して、朝晩、おつとめをされました。
そのときどき、ふさ子さんは、お母さんの後に(すわ)って、手を合わせて、お大師さんをおがみました。
 今、夜なかに目をさまして、お母さんが、ぐっすりおやすみで、お返事がありませんので、ふさ子さんは、何だかさびしくなりました。
「お大師さん。」
 ふさ子さんは、我ともなくこう云って、掛図のおすがたに呼びかけました。すると、お大師さんの姿は、するすると掛図から()け出して、ふさ子さんの前にお立ちになりました。
 雪洞の光は、たちまちお日さまのように明るくなりました。お大師さんは、ふさ子さんを片手におかかえになると、空へ立ちのぼって行かれました。
「お大師さん。」
とふさ子さんは云いました。
「ここはどこ?」
「ここが、わしの(すみか)だよ。」
とお大師さんがお答えになりました。
「でもお大師さんは、いつも掛図の中にいらっしゃるのに。」
「ウム、あれは、わたしの(かり)の住み家さ。」
 仮の住み家? ふさ子さんには、何のことか、よくわかりませんでした。ただ目にうつるものは、みな清らかで、耳にきこえるものは、みな(さわ)やかでありました。
南無大師遍照金剛(なむたいしへんじょうこんごう)……」
と唱える声に、ふさ子さんは、目をさましました。お母さんが、おつとめをしていられるのです。もう、夜はとくに明けはなれて()ります。ふさ子さんは、寝床(ねどこ)の中から、そっと、掛図のお大師さんを(のぞ)いてみました。
「お大師さん。」
 ふさ子さんは、こう云って、小さな声でよんでみました。けれど、お大師さんのお姿は、掛図の中にしずかに坐ったまま、もう動こうとはなさいませんでした。
 そして、お母さんが、ふさ子さんの方をふり向いて、
「もうお目ざめなの。」
とやさしい声でおっしゃいました。

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