山婆(やまんば)の唄            土田耕平


 馬子の仁兵衛(にへい)どんが、馬の()に大根をつけて、森の中の一本みちを歩いてきますと、
「もしもし、大根をおくれよ。」
 と、うしろから呼びかける声がしました。見ると、目がぎらぎら、真白い(かみ)の毛をふりみだした山婆が、いつどこから出てきたのか、馬の(しり)について、すたすた歩いているのです。仁兵衛どんは、びっくりしました。手早く五六本の大根をほうり出して、手綱(たづな)をひっぱり、馬をいそがせました。ところが、一町(いっちょう)も歩くか歩かぬうちに、
「もつと大根をおくれよ。」
 と山婆は追いすがってきました。
 仁兵衛どんは、これはたまらぬと、馬の背にありったけの大根をほうり出して、どんどん馬を走らせて逃げました。もう大丈夫だろうとおもって後をふりかえってみましたら、山婆は、もうちゃんと馬の尻へ追いついていました。
「馬の足を一本おくれよ。」
 と山婆はいいました。仁兵衛どんは、馬も何もほうり()てておいて逃げました。くらい森の中を、夢中(むちゅう)で逃げてきますと、お寺のような大きな家がありました。
「助けてくれ、山婆だ。」
 と戸をやぶれるほど(たた)きましたが、誰も返事をする人はいません。戸をこじあけて中へ入って見ますと、がらんとした土間のすみに、大きな(かま)がすえてありました。片方(かたほう)のすみに小さな戸棚(とだな)がすえてありました。仁兵衛どんは、小さな戸棚の中へ入りこんでちぢこまりました。あやしいぞ、これは山婆の家かも知れないと思いながら。
 (あん)(じょう)、山婆がやってきたようすです。。ぺろぺろ(した)なめずりの音がして、
「やれ、(うま)かったわい。久しぶりで、生血(いきち)をたらふく吸ったもので、気もちがせいせいしてきた。けれど、あの馬子めを逃がしてしまったのはざんねんなことだったわい。」
 こんな声がしますので、仁兵衛どんは、こわごわ戸棚のすきまからのぞいて見ますと、大釜の前にかがまって、煙草(たばこ)をすぱすぱふかしている山婆の顔は、血のように真っ赤、そして髪の毛まで真っ赤に()えたっていました。仁兵衛どんは、生きた心地(ここち)もありませんでした。
「もうこら、夜になったわい。今夜はどこへ眠ろうか。戸棚、いいや戸棚は(ねずみ)がやかましい。釜の中、いいや釜のなかは身が冷える。」
 といいながら、それでも釜の方がよかったとみえて、山婆は釜の(ふた)をあけて入りこんで、じぶん手にまた蓋をしました。と思うとごろごろごろごろごろごろ(かみなり)のようないびきをかきはじめました。仁兵衛どんは、
「よし、こうなれば()めたものだ。今に見ていろ、ひどい目にあわせてやるから。」 と戸棚から()け出して、大きな石を(かか)えてきて、釜の蓋の上へ乗せました。
 それから、たくさんの枯枝をあつめてきて、ぽきぽき折って、釜の下へ()きつけました。すると、山婆のいびきが()んで、ほそい糸のようなこえでうたい出しました。
 雨のふる夜は
 虫がなく
 かちかち鳴くのは
 何虫か
 なけよ なけなけ
 雨がふる
 そのうちに、火がどんどん燃えたってきました。山婆はすっかり目をさましたと見えて、がたがたと釜の中からはね起きようとしましたが、大石を乗せられた釜の蓋はゆるごうともしませんでした。
「助けてくれ、火事だ、火事だ。」
と叫び出しました。そこでこんどは、馬子の仁兵衛どんがうたい出しました。
 馬食う(ばば)
 どこにいる
 寒けりゃもっと
 火を焚こか
 あつけりゃ
 火になれ 骨になれ
 いくらあっても
 足りないものは
 婆がいのちと
 野辺(のべ)の草
 そのうちに釜の中は真っ赤に焼けて、馬食う山婆は灰になってしまいました。

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