牝獅子(めじし)(やまいぬ)の子            土田耕平


 山の中に牡獅子(おじし)と牝獅子が住んでおりました。やがて牝獅子が一匹の可愛(かわい)らしい子を生みました。
 牡獅子は毎日山々を()せて(うま)しい(えさ)をとらえてきて牝獅子に与えましたので、牝獅子の乳は、とくとくと泉の様にあふれ出て、子獅子はすこやかに育って行きました。ある日のこと、牡獅子は、いつものように餌をあさりに出て、一ぴきの(やまいぬ)の子を見つけました。
「こんなものは、いけどりにしよう。」
 とその首たまをくわえて、持ちかえりました。
 牝獅子は豺の子を見ると、
「まあ、可愛らしいこと。これは、坊の兄弟にして、大きくしましょう。」
 といって、子獅子にならべて乳ぶさをあてがいました。
 豺の子は、子獅子よりも先に生まれていたので、兄さんになりました。そして、全く子獅子と同じようにして育てられましたので、じぶんが豺であることを忘れてしまいました。
 やがて、兄の豺の子も弟の獅子も、ずんずんひとりだちして歩けるようになり、じぶんの力で、餌をとらえることもできました。兎や野羊(やぎ)や、そうした弱い(けもの)をとらえることは、豺の子にしても、獅子の子にしても、わけないことでした。ふたりは同じように勇猛(ゆうもう)でありました。
 ところがある日のこと、森の中を歩きまわっているうちに、象に出あいました。
 獅子の子は、たてがみをいからして、
「ぼく前から行くから兄さんはうしろから()びかかっておくれよ。」
 と身がまえしました。豺は、
「あぶない。そんな無鉄砲(むてっぽう)のことをするではない。」
「大丈夫だよ、兄さん。象なんか恐ろしいものか。さあ、とびかかるぞ。」
「いけない。いけない。そんな大きな象の(はな)にぴしりと打たれて見ろ。首の骨がくだけてしまうぞ。」
 兄さんが、(しり)ごみしてしまいましたので、弟の獅子もはりあいぬけして、せっかくの力だめしができませんでした。
 うちへかえった獅子は、お母さんの牝獅子に向かって、
「ぼくはもう兄さんと一しょに歩くのはいやだよ。」
 と森でのできごとを話しはじめました。豺はそれをきくと、
「何という馬鹿(ばか)ものだ。もしあの時兄さんが()なかったら、おまえのいのちはなかったとおもわんか。身のほど知らずめ。」
 といいました。
「兄さんがいなかったら、何の象一ぴきぐらい、ぼくがひとりでしとめてしまったに。身のほど知らずとは兄さんのことだ。」
 と獅子の子も負けずにいいかえしました。
「うぬ、兄さんに口答えするつもりか。もう承知(しょうち)できないぞ。」
「ぼくだって承知できないや。一番組うちしよう。」
 あぶなく豺の子と獅子の子は、組うちをはじめようとしました。このようすを、かたわらでじっと見ていたお母さんの牝獅子は、
(あらそ)いはなりません。きょうは兄さんのおまえに、いってきかせることがあるから、こっちへおいで。」
 と、豺の子を外へつれ出しました。そして今までのいちぶ始終(しじゅう)のことを話してきかせて、
「そういうわけで、おまえはもともと獅子でなかったのだ。それを獅子の子として育てようとしたのが、わたしのまちがいだった。早くどこへでも逃げておいで。弟のつもりで、あれと喧嘩(けんか)などはじめたら、それこそ、どんな目にあうか知れない。」
 といいました。
 豺の子は、牝獅子のいうことをきいているうちに、恐ろしさにからだじゅうの毛がそばだちました。そして、牝獅子のことばがとぎれると一しょに、あたふたと逃げてゆきました。
 牝獅子は、かなしげな顔つきをして、少しうなだれて、子獅子のところへかえりました。
「さあ、これからはいくらでも強くおなり。象だって何だって恐がることはない。おまえこそ、ほんとうのわたしの子だよ。」
といいました。

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