象と旅人            土田耕平


 ある旅人がありました。印度(いんど)の奥ふかい森の中に入りこんで行きました。すると、むこうから、一匹の象が、のそりのそりやって来るのが見えました。
 旅人は、大いそぎで、かたわらの木に、よじのぼりました。そして、(しげ)った葉がくれに、小さくなっていました。象は、あいかわらず、のそりのそりと、やって来ますので、これは大丈夫かくれおおせたわい、と安心しておりますと、木の下まで来た象は、ふいに鼻をのばして、木の根もとに巻きつけました。
 ぐらぐらと、樹は大ゆれにゆれ出しました。旅人は、根こそぎにされた木と一しょに、地面にころげ落ちてしまいました。象は鼻をのばして、旅人のからだにまきつけました。
 のそりのそりと、象は、もと来た方へ、歩き出しました。象の鼻は、上下に、やんわりと、旅人のからだをささげて、邪魔(じゃま)になる木の枝などありますと、縦に横に、ふりさけて、旅人を、傷つけまいとしています。それが旅人にも、よくわかりました。
 さて、おれをどうするつもりだろう、――それだけが、旅人の心配でありました。
 幾里歩いたか、分からない程遠くまで来ましたとき、森がひらけて、あかるいところに出ました。象は、しずかに旅人を地べたへおろしました。そこには、さきの象よりも、一まわり大きな象が、仰向(あおむ)けにころげて、四足をふりふり、うれしげなようすをしておりました。
 さては、さきの象が子であって、この大きな(やつ)が、親象であったのだ、じぶんは、
親象の餌に捉えられてきたのだと思うと旅人は、ふるえあがりました。しかし、もはやどうしても、逃げる手だてはありません。旅人は、じっと大象を見つめていました。すると、左の前足に、木の株がふかく、()さっているのに、気がつきました。
 旅人は、象の今までのしぐさがよくわかってきました。
 大へんうれしくなりました。親象のそばへやって行って、足に刺さっている木の株を、どっこいと、一息に()きとつてしまいました。親象は起きあがって、ほそい笑うような目つきをしました。
 やがて大象は、鼻をのばして、旅人をもち上げて、森の中へむけて歩き出しました。大象の鼻は、高く森の上へ抜き出ていますので、どっちへ歩いて行くのにも楽々と旅人を運ぶことができました。
 旅人はふたたび地べたへ、おろされました。大象は、鼻をのばして、(きね)のような恰好(かっこう)をして、岩の根もとを、打ちはじめました。五六ペんも、打ちますと、岩が割れて、森じゅう、かがやくばかりの黄金のかたまりがあらわれました。これは象が旅人への御礼でありました。

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